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2009.10.15 愛宕神社
東京に住んでいると、東京にある観光スポット、名所
(ベタなところでは東京タワーとか)は行かないん
ですが、そんなベタな観光スポットを訪ねる企画が
結構うけているんだとか。

それで、東京にある馬にまつわるスポットのひとつを
紹介してみたいと思います。
そこは東京港区にある「愛宕神社」です。
で、どこが馬と関係あるかと言うと神社のシンボルにも
なっている境内につながる急な石段(出世の石段)をなんと
江戸時代に馬で登った強者がいたそうです。


そのエピソードを同神社のホームページからの抜粋で紹介
します。


その由来は講談で有名な(っていっても近頃は知らない人の方
が多いけれども)「寛永三馬術」の中の曲垣平九郎(まがき・
へいくろう)の故事にちなみます。
時は寛永11年、パパンパン(ってこれ、講談の張扇です)。
江戸三代将軍、家光公が将軍家の菩提寺である芝の増上寺にご参詣
のお帰りに、ここ愛宕神社の下を通りました。
折しも春、愛宕山には源平の梅が咲き誇っておりました。
家光公は、その梅を目にされ、
「誰か、馬にてあの梅を取って参れ!」
と命ぜられました。
しかし、この愛宕山の石段はとても急勾配です。まあ、一度いらしゃって
みて下さい。歩いてのぼり降りをするのだに、ちょっと勇気が必要なのに、
馬でこの石段をのぼって梅を取ってくることなど、とてもできそうにあり
ません。
下手すれば、よくて重傷、悪ければ命を落とします。せっかく江戸の平和
の世に、こんなことで命を落としてはたまりません。
家臣たちは、みな一様に下を向いております。
家光公は、みるみる機嫌が悪くなってきます。
もう少したてば、怒りバクハツ!というそのときに、この石段をパカッ、
パカッ、パカッとのぼりはじめた者がおりました。
家光公。その者の顔に見覚えがありません。
「あの者は誰だ」
近習の臣に知る者はありません。
「おそれながら」
「おう」
「あの者は四国丸亀藩の家臣で曲垣平九郎(まがき・へいくろう)と申す者
でございます」
「そうか。この泰平の世に馬術の稽古怠りなきこと、まことにあっぱれである」
平九郎は見事、山上の梅を手折り、馬にて石段をのぼり降りし、家光公に梅を
献上いたしました。
平九郎は家光公より「日本一の馬術の名人」と讃えられ、その名は一日にして
全国にとどろいたと伝えられております。

以上がエピソードを紹介した文面ですが、同神社によると江戸時代以降
この石段の馬登りにチャレンジして成功した人が実際にいるそうです。
* 明治15年・石川清馬(セイマ。宮城県出身)
* 大正14年・岩木利夫(参謀本部馬丁)廃馬になる愛馬のために最後の花道をつくった)
* 昭和57年・渡辺隆馬(タカマ。スタントマン)

なんと勇気のある人たちでしょうか!


by どい
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